ももや21ももや

私が毎年閖上を訪れるのは8月お盆前後で、閖上の住宅跡地には、花やお茶が供えられているのを多く見かけた。

2014年8月、小雨が降る中、閖上2丁目あたりを撮影しながら歩いていると、ある住宅跡で、花や飲み物が供えられた横に、木の板を立てかけただけの「墓標」が目に留まった。

そこにはペンで「ももや」と書かれていた。

「ももや」って誰だろう。人の名前だろうか。ペットの名前だろうか・・・

ここに住んでいた人の墓標にしては、名字も無いし、簡素すぎる・・・
疑問に思っていた。

翌年2015年春に、いつも郵送して頂いている新聞「閖上復興だより」の記念誌「ゆりあげ前進 もう一度 心をひとつに」が届いた。

ページをめくって読んでいて、ハッとした。

「ももや」が紹介されていたのだ。

「ももや」は閖上にあった定食屋。特に「カツ丼」が皆さんの懐かしの味なのだそうだ。(「閖上で育った人は、ももやのカツ丼で育ったと言っても過言では無い」というネット書き込みも見た。)
安くて、ボリュームがあって、グリンピースがのっているのが特徴。

東日本大震災の大津波で、「ももや」のご一家は、全員が犠牲になってしまったのだそうだ。ももや

「ももや」の味も途絶えてしまったのだという。

震災前の閖上の地図を見る。墓標があったのは「ももや」があった場所と一致する。
「間違いない。」確信した。

きっと、「ももや」を懐かしむ誰かが、あの墓標を置いたのではないかと思う。

震災後、「ももや」の味を再現しようと、記憶を頼りに調理法を研究し、将来「ももや」のカツ丼を提供する店を出したいと考えている人がいる、と聞いた。

「ももや」のカツ丼が復活した折には、是非、味わわせて頂きたいと思っている。

(今年の8月閖上を訪れた時には、閖上の「区画整理事業」の土盛りが進み、閖上2丁目は、立ち入り禁止区域になっており、「ももや」跡地は土の下となっていた。)

閖上復興だよりに送られた文より

 

norippi

閖上のみなさんと、これからも一緒に歩んでいきたいと思います。 よろしくお願いいたします。

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